私のこと 小学生

保育園を卒園したと同時に、今度は新たな不安に襲われた。
私に味方する人がいなくなってしまったと思った。
みんなが遠のいた。みんながそれぞれ孤独で一人一人になっているように感じた。
保育園の時とは違う、保育園の時ほど激しい投射(人に勝手に悪いイメージを押し付ける)が一人一人になくなり、子どもながら一人として成長しているようだった。
そこで私は何をしたか?実は自分がはっきりつかめないでいた。
お互い浸食しあうのがこの時期だったと思う。
自分は、やんちゃ娘みたいに思っていたけれど、それで自分が恐怖にかられ、もし間違いでもあったらと思うと自分の顔が情けなくなっていって、
落胆していった。友達も出来始めたけど、自分が悪いように思えて
ならなかった。
この頃の私はうつ的な症状を伴って、絶えず怯えていたように思う。
近くに駄菓子屋があって、アイスクリームを買って、
少し離れたダンプカーの駐車場で、満足気にそのアイスクリームを
食べていた時、すっかりお金を渡すのを忘れて急に捨ててしまったことがあった。
とてもびっくりした。
そんな事があった頃、バレエをはじめていた。

私のこと 保育園

保育園でおこったこと。
私は、自分は最初から勉強ができないのではないかと考えてたところがある。
これもおかしい。すごいスピードで物を作ったり、周りよりも早く仕上げるのに、私は全てがダメなんじゃないかと思い始めていた。
でも、そんな時に先生方が見ていてくれたので、その中で大好きな先生ができて、その先生に執着してしまった。
私は、大好きな先生と同じお出かけのパンプスを履きたくて買いたいといってごねていた。けど、母ってそんな時にはお金を出す。
人間関係でも友達の中で合う合わないという感じを持ち始めていた。
一人、背の高い、大柄なスポーツ刈りっぽい女の子がいたけど、
その子といると、なぜか暗くなって気持ちが悪くなってしまうので、なんとなく避けていたように思う。
これは鬱の状態だっかもしれないなと今は思う。

私のこと 幼少期

私の目覚めは小学校高学年の時に始まっていった。
心に何となく不安を持っていたが、この頃は安定していたと思う。
心身共にまとまっていたように思う。
親しい友達もいて、学校の人間関係がうまくいっていたのかもしれない。
あと自分自身がいろいろなことを受け入れていったからかもしれない。
どこかで、小学校高学年の頃が一番人のいうことを聞くものだと聞いたが、私もそうだったのかな。
この頃のことをあとから回想すると、習い事のバレエの写真が非常にたくさん残っているので、バレエがよく伸びていたのではないかと思う。
確かに大好きだったバレエ。
でも...母がこてんぱんに私のバレエを馬鹿にした。
母は、バレエ自体にあまり関心がないばかりか、こともあろうにバレエを
「踊りっぱね」(東北弁?)といってけなした。
言葉の暴力がひどかった。
どんなにがんばってもほめてくれないものだから
私もそのうち集中力をなくしていった。
だからバレエを踊っても、悲壮感ばかりがたまって、悲しくて悲しくてどうしようなくなってきた。
そのうち先生から冷たくされていったと同時に、どういう子?という風な目でみられてしまったことでやめてしまった。

私のこと 幼少期

幼少期の私は明るさと暗さを両方もっていた。
でも表面上は普通の子だったんじゃなかったか。
人に配慮しているところがあるのに絶えず罪悪感にかられていた。
自分が悪いように思えてならないのにそんな事が
他人と私の間には何もなかった。
私がその時のことを考えるにうつ状態の突入であった。
まだ赤ちゃんの頃もしくはもう少し年をとっていたかわからないが、
黒い重いものが私を襲った。
何かわからない。苦しい。
そこから黒くて重い日々が始まった。
その時私は何をしたかと言うとこれをはねのけるにはどうしたら
いいか考え始めた。
絶えず自分の身体と心のバランスをとりながら生きていたと思う。
それが10代の私。

私のこと はじめに思うこと

人はこの病気にかかると自分が特別なものになってしまうので、
それがレールからの脱線に大きくつながっていってしまう。
本当の自分が何かというのがわからなくなって、自分の異常な部分を
見続けてしまう。
それが悪い方向にいってしまうのではないか?
そんな時私は自分を普通の位置に戻し、平素を心がける。
自分を普通の人間と思うと立ち位置が自然と出来て自分の状態を
理解していく事が出来る。
これは異ではないかね。
どんな人間でも悩みがあるとしたらやっぱり自分って普通じゃない?
だから普通の事ができなくちゃ。
そして普通のことをする。

私のこと(はじめに)

私と統合失調症との付き合いは非常に長い。
発病してから17年になる。
精神病は未知な病気という定義みたいなものを
聞いた事はあるけど、
何かもうはっきりわからないもののの中に自分がいて
でも自分を病人と思わずに普通の生活をしていた。
病人だと思うと自分が本当に愚かな人間として
自分自身を認めてしまい、だらしない生活を送る事になって、
自分が得体のしれないものになってしまう。
そうなったら大バカものだ。
主人のアドバイスもあったけど、普通の生活を心がけて
自分を強い人間とも弱い人間とも思わず、
社会からの批判も受け、自分の発露を見出すことを
怠らずにいた。
これは病気を超えて行く中で大きな長所になっていたと思う。
それが私の土台になっているものだ。

2日前の私

2日前、私の誕生日だった。
10月04日は記念日。
この年で45歳になります。
至極、私事ではありますが、24歳の時に、
大人になるという事を決めて、自分の課題を受け止めた。
でも本当は20歳の時が成人になるので、
4歳遅かったかな。
45年間本当に色々な事があった。
でもひとえに私の勤めは精神の病への興味と克服が主だったと思う。
その事に費やした45年だった。
これからいい事が沢山あるといいな。
色々な事がうまく行くといいな。

My birthday was very good.