私のこと 大学

高校の頃の整理のつかない動揺が治まりきらないまま大学入学時期を迎えた。息苦しいのは下で上が軽い。私がそう感じた。
急に外見が変わっていた。
お化粧をしたり、服に懲りました。高校の終わりから決心した事は、
自立するという事だったけど、そこに自由を取り入れてファッションを
気にする私と読書や社会構造の勉強をして行った。
その2つが私の大学時代の表章だった。
大学の人間関係と言ったら、はっきりしないものに覆い隠されて
自分が希薄になっている。
私自身は大学時代はどこの組織にも入らず、自分自身の自立を目標にして
成長させようと思っていた。少しみんなと違っていたと思う。
だから普通の女子大生として生きて行きたかったり、水面下ではっきり姿がみえない子がいたり、すごい一言でビックリさせた子もいた。
男の話ばかりする子や内部をかく乱して気がつかない子や私は成功しない
子とはつきあわないと言っていた子もいた。
しんどい人間関係だった。
もう黙るしかなくなっていた。
内部から「私達バラバラだね。」って言っていた子がいるけど
もう私は複雑な気持ちで泣きたくなった。
  

そんな時ほのかな明るい光が見えてきた。主人との出会い。
私が主人のTを見たのは大学2年アルバイト先で小さな新聞社だった。
Tは本を読んでいた。それがとても好感をもった事だった。
本を読む人なんだって思ってうれしくなった。
そんな時Tから声をかけてもらって駅のホームで会って話をした。
パンクが好きだとか作家YMが好きだとか言ってとても話が面白い人と
感じ、もう勝手に「この人とつき合ってみたい。」と思ってしまったのだった。相手の心を全く考えず、そんな風にしてしまっていたので
押しかけて行ったのかもしれない。
自分は好かれているとばかり思い込んでいて、今思えば、強引な人間だと
いう事ですね。

そんなTだけど距離感を保ちながら、私を教育して行って私を安住の地に
置かない人だった。けれど一方で私をどんな時でも支えてくれる人だった。

私とTは大学が同じではなかった。
Tと会った大学2年生の時は私の通った大学内が非常に荒れていて、
この頃から時々体調を崩すようになった。仕事で虎の門を歩いている時
急にお腹に激痛が走りそのまま入院したことがあった。

Tの大学はH大学で、私達のY大学よりも突出した生徒がいっぱいいた。
そんな出会いから徐々にH大学へ遊びに出かけるようになっていた。
大学生、大学ってすごく自由。だけどすごい事に不正をみたら徹底的に
弾弓する所で、それを満喫して何でもいいと思ったら大間違い。
落とす、落とす、すごい所ですね。

そんな時、T入っていたらS研究会。何回か私もそこにお邪魔して
レジュメを提出して学習会にも参加させてもらったけど、みんなで
和を作り、批判もありながら共に成長して行こうという気構えが、
みんなの中にあったので驚いてしまった。
みんなそれぞれだけど、みんなでやり遂げようとしていた。
二つの思いが相反しながら当てはまるものがあった。

Y大学は比較的もの静かな学生が多かったけど、思いを胸に秘めていた。
井上円了という哲学者が開いたということもあるけど一つ心に残る書物を
提示してくれた先生がいた。
それは「成功」という本で簡単に言えば「世の中は成功じゃない。」と
いう事を篤と言いたかったのだと思う。
その時は非常にショックで目標が無くなって体がフラフラになってしまったけど、今思えば、そんな観念を持っていた自分がとても恥ずかしい。

社会と自分を見つめた。
社会でアルバイトするという事で社会になじんむ事を考えるのだけど、
そこに自己の目標、自立があり、そのための様々な行為があったため
一方で慎ましく、一方で伸びやかで二つの心がアンバランスになってしまい、葛藤状態になってしまったのもこの時期だった。
そしてこの時に活動家の本を手にしたのだった。社会への反抗と個人の
生活について考えていた。
社会に敵対したり反抗したりするのが、自分のせいではないかと真剣に
考えた。社会への反抗は自分の中の不満ではないかと思っていたけど、
その中で連合赤軍関連の本を数冊読んだ。
暴力が悪いように思っていないのだけれどなぜなんだろう?
あんなに社会を良くしたいと思っている人たちがどうしてかな?
一つすごく不思議なのは、女の人と平気で関係を結ぶのがなぜなんだと
と思う。
女の子を大事にできないのだろうか?
女の子の意向を聞いているのだろうか?
そこがわからない。

今、思うと私は国がやさしくして、これだけの人を守っているのが
すごい事のように思うのだけれども、自分がいた家の事がそもそも
原因で、そこの不満を社会にぶつけてしまうのがよくない。
やさしく見守っている人がいるんじゃないか?
家族関係や家庭内のいざこざを解決すると次のステップに進めるのでは
ないかと思う。