私のこと 留学時代

大学卒業の頃、思わぬ話がきた。
渡米です。このまま就職かと思っていたのですが、
アメリカに従姉妹夫婦とその子ども達が住んでいて
そこからの出発という事でそこを頼りにアメリカ留学を決心した。
初めての海外でドキドキしていたけど、なんとか一年間乗り切った。
大学留学で、私は自分が今まで出来なかった事を、やってみたいと
強く思っていた。そこで大学のドミトリーに入り思いっきり自分の余った
能力も加えて、勉強に打ち込み行動そのもの自分そのものを変えていった。
本当にアメリカ留学、一人暮らしに自分の力をかけたが、今になって、
私の複雑なものの様相になっている。
自分が立って行くのが、私の考えだったのに、何かに振り回されて行って
しまうのではないかと思うよになったのは最近。全エネルギーだった。
アメリカ留学でそれはそれは生活にあこがれを持って、いたけれども
現実に見たものはアメリカの英語教育が、あまりにも日本と違っていて
ビックリしたのだった。
文法が簡単すぎて、会話自体がわからず、すごく早い。
すごい色々な所で、ギャップが生じて非常に困った。
そこからが私の英語の迷路だったのだ。授業をボイコット。
会話が落ち着いて聞くとがわかる所もあるのに、急に理解できなくなって
しまう。それが私の会話だった。
色々な箇所で英語を上達させるには、というのは留学時代に様々な考えた
けれども、英語を完成させるには相当な勉強量が必要だとわかった。
だけれど、もう一つ反転して、従姉妹家族との旅行はとても思い出に残った。車でまずは観光客行く所としてNAVY,ARMYの施設やメリーランド州、ワシントンDC、ワシントンモニュメント、アーリントン墓地、ホワイトハウスリンカーン大統領のピストルで打たれた劇場、その隣の施設など、とても幸せな気分だった。
あと一つ、すごいHAPPYな出来事を披露すると、私、学校が終わり、バスに乗って、あるところへいくのに、反対のバスに乗って、全く別のわからない所に行ってしまい、終点で降りたのはいいが、どうしようかと片言の
英語で、反対側にいくのはどうしたらいいか、聞いていたのだけれど、
バスの運転手がなんと、私、一人を乗せて、バスで寮の近くまで送って
くれたのだ。ビックリした。アメリカのおおらかな大きな親切心を感じた
時だった。そごいですね。

初めてやった事が多かったアメリカ滞在。
なにもかも一人。
与えられているのではなく、自分からの行動がアメリカ社会。
自分から一切を行い、その責任は自分自身がとる。
自分の身は自分で守る。基礎に家族愛を持って物事をみる。
自分がまずある所。

だからアメリカの私の姿を日本に当てはめると合わない所があり、
気の回し過ぎでぼやけた所があり、教育がとても厳しいのが、日本であるのがわかった。
あと広大なのがアメリカ。
何十分もかかって目的地へ着く。ストアが遠い。それがアメリカの
一番の感じ。

それをアメリカで学んだ。