えん罪
4/7、現在、えん罪をテーマとした「BOX袴田事件、命とは」の
フィルムを見に行った。
えん罪でもこの裁判は、非常に長い期間の争いとなっている。
43年間という事で私自身も驚いている。
このフィルムは、昭和41年6月30日未明静岡県清水市で、
味噌製造会社の専務一家4人が殺害され、
その当時、そこで働いていた袴田巌さんが、逮捕された事になって、
最高裁で死刑判決確定したもので、その後一つのえん罪事件となったものだった。
フィルムを見て思ったことだが、「死刑囚」となった主人公が、
「一体、どういう人だかわからない。」というのが、正直、
第一印象だったのだが、叩かれても取り調べでは
本人は非常に大人しく、心の動揺が余りないない人で、
表現も派手なものでないとも思った。
「死刑囚」となったということは、司法の場で総攻撃
されたのも事実だ。
私も始めの段階で家族4人を殺害で犯罪者の判定をしたのだが、
これが真実だとしたらなぜこんなに長い間、えん罪なっているのが、
最初の疑問だった。
袴田が悪いというと何故か判決とは違う、袴田の顔がある。
私よく考えてみると
この人って犯罪の心じゃない。
殺害した家族4人へのあるいは世間へのよどんだ、心の汚泥物がない人。
だから殺害に及んだ時に急にパニックに落ち入ったか、
それ以前にこの家族とトラブルがあり、この家族から
いじめを受けていたのではないかと思った。
精神病、神経症も疑ったが、そうじゃない。
精神病や神経症の人は長時間取り調べを受けていて
あんなに冷静ではいられない。
感情の浮き沈みがない人だから、やっぱり違う。
このケースはえん罪でも非常に難しいケースだったに違いない。
このフィルムは最後の最後まで問題を提示した。
3.28 ”10のクラッシック
おととい、所沢のバッハアカデミーの発表会だった。
久しぶりのクラッシックコンサートだった。
今回の催しでなおもクラッシックに近づき観賞した。
喜怒哀楽を音で表現して行くのが音楽。
それを1つ1つオンプ♪が流れるように連なり、
1つの曲となって、観客を楽しませてくれる。
音の発祥は声かな?それとも雑音かな?
それとも自然から来るものかな?
不思議なもので、音楽家が違うと
曲の表現されているものも違う。
それを歌う歌い手が違うとまた更に、
音楽も違ってくる。
そして、曲自体がバラエティに富むものに、
なっているのだ。
音楽が好きな人は多いけど、それ故に音楽も多い。
またまだ、音楽は奥深い。
最近
最近の私は心も頭も空っぽ。
これがゼロというべきか?
本当に色々なものが、解けていくけど、
それが思うように進むのは、
混乱させられたものが、
正確にそれをキャッチして受けて、
判断しているからだと思う。
ヘルパー講座に行ったこともその要因となるけれど、
教師陣が思いやり深く見つめてくれて、
私を包んでくれる。
それで発見し獲得したものもあるが、
それが私が、探してた愛だとはっきりした。
思うようにいかないとき、社会のせいにしていく事もあるけど、
誰かの愛に触れたとたんに
新しい世界へと入って心もおだやかになる。
それがわかった時点で
生まれ変わる。
NEW LINE
新しく道が開ける時、
新しい世界がみえる。
そして未来を作る。
そんな道にすうっと風が透る時、
その風の意味を考える。
色々な風、
青色の空が澄み切っている時の風をたよりに
私達、動きたい。