人格形成

「自分の人格を作るものは?」と問われ、
現在その材料になるものを
追い求めやまないのが、
いつしか学問になり
様々な議論を呼び起こしている。
しかしここで書き記したいのは、
もっと簡単な事。
でも気になる一文を書いてみようと思う。
私が中高生の時、
体験した、あるいはそこから感じた事で、

以前の学校では人気者だったが、
転校したらいじめられるようになったという現象。
・・・・
これは考えてみると非常に不思議な事で、
なぜ同じ人間が場所によって評価が変わるのか?である。
同じ人物をみているわけでしょう?
そんな事を考えていて、
なおも疑問。
そこにいる分別のある大人である教師陣でさえ、
子供同士で交わされる視線と同じものを
その子に向けるという事。
周囲にいじめられると大人もまた
その子に邪悪な視線を向けているという事実あり。

どこを歪めるとこうなってしまうのか?


やはり自分というのは
自分の力でだけで構築するのでないのは、
このことから自ずとわかり、
つまり他者との合作なのである。
しかし、自分の印象は自分が責任持って作らなければ、
その後、
自我の安定もはかれない。

上手にバランスを取りながら、
やっぱり生きて行くしかない。でしょう。